『アイユ』連載「感染症の歴史における差別」 第11回
2003年のSARSの脅威と不安が落ち着き、過去の思い出になった2012年、今度は中東でコロナウイルスによる別種の肺炎が出現した。症状はほとんどSARSと同じであったが、感染力がやや低く、逆に致死率が高かった(約35%)。名称もSARSに合わせて中東呼吸器症候群(Middle East Respiratory Syndrome)になった。当時サウジアラビアの病院に勤務していたエジプト人研究者のザキ(Zaki AM)が発生を発表した。この時のウイルスの遺伝子配列の特許がそれを分析した共同研究者のオランダの大学になっている事や疾病発生情報がメッカ巡礼に不利なであることから、ザキは解雇されてエジプトに戻った。コウモリからヒトコブラクダを経由してヒトに感染したと推測されている。実際にほとんどの患者にラクダとの接触が知られている。アジア大陸のフタコブラクダには幸いウイルス感染が見つかっていない。ほとんどの患者が中東、特にサウジアラビアに集中しており、2022年現在もわずかに患者発生がある。
ところが2015年になって、地理的に遥かに離れた韓国で突然患者が発生し、韓国はパニックに陥った。当然韓国もMERSには注意を払いサウジアラビアからの入国者を検疫対象にしていた。韓国人のビジネスマンがサウジアラビアに行き、カタール経由で帰国したが、入国書類はカタールからという事で、検疫対象になっていなかった。検疫の網は広くかけるべきであるというのがこの時の教訓であった。患者は韓国内で発症して、原因不明という事で4つの病院をはしご受診した。その4病院で後にMERSが発生した(計185人)。韓国内はパニックになり、患者と4病院関係者は社会的に忌避され、国民の多くがマスクをかけおびえた。感染診断にはウイルス遺伝子の検出が用いられ、方法としてはPCRであるが、当時の韓国ではPCR検査能力が十分ではなく、余計パニックがひどくなった。
しかし、この時、韓国は非常事態であるとPCR用の機器の数を充実させ、検査技術者の教育訓練を進めた。これが、2020年からのCOVID-19の時に、1日2万検体の検査を可能にさせた。今から思えばMERSで痛い目に遭った韓国は学んだのである。隣国の日本はSARSもMERSも幸いにも1人の患者も出さず、被害が少なく、逆に学ぶ事も少なかった。痛い目に遭わないと学ばないという皮肉な結果であった。
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加藤 茂孝(かとう しげたか) 国立感染症研究所室長、米国CDC(疾病対策センター)招聘研究員、理化学研究所新興・再興感染症研究ネットワーク推進センターチームリーダー、WHO非常勤諮問委員、日本ワクチン学会理事などを歴任。現在、保健科学研究所学術顧問。
専門はウイルス学、特に、風しんウイルス及び麻しん・風しんワクチンの研究。胎児風しん感染のウイルス遺伝子診断法を開発して400例余りを検査し、非感染胎児の出生につなげた。
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